以前、フリーゲームの感想やレビューの書き方について記事を書いた際に、「面白くなかった」「つまらなかった」という言葉は「楽しめなかった」に言い換えた方が良い、ということを書きました。
作品自体に問題がある言い方よりも、自分の感情の発露としての言い方のほうが角が立ちにくいから、というのが主な理由です。
その考え方は今も変わっていません。
ただ最近は、その先のことを考えるようになりました。
その作品が合う人に、ちゃんと届くようにすることの方が大事なのではないか、と思うようになったのです。
今回は、「not for me」という言葉を入り口に、「届けたい人に届ける」ということについて、ネット上で見られる論点も交えつつ、僕なりの考えを書いていこうと思います。
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「not for me」という言葉
「not for me」は、直訳すると「私向けではない」という意味です。
遊んでみたけれど自分は楽しめなかった、しかしそれは作品が悪いからではなく、自分の好みに合わなかっただけだ、という言い方です。
日本では、2015年に、海外のゲーム評価には「自分には面白くなかったけれど、好きな人もいるから一概にクソゲーとは言わない」という意味の「not for me」という言葉がある、日本でも流行ってほしい、というツイートがTogetterにまとめられ、話題になりました。[1]
(ニコニコ大百科[2]によると、それ以前の2010年代前半からボードゲームのファンの間で使われていた言葉のようです。ただ、海外で「クソゲー」に当たる表現がnot for meだとまで言うのは誤りで、そう表現することもある、という程度らしいです)
この言葉の根っこにあるのは、作品の「出来の良し悪し」と、自分の「好き嫌い」は別の軸だ、という考え方だと思います。
最近も、この2つを別の軸として理解できない人が想像以上に多い、という投稿がまとめられていました。[3]
「よく出来ているけど好きじゃない」「粗いけど好き」という評価は、普通にあり得ます。
逆に、not for meの対義語を考える人たちもいて、良い作品に出会ったら「Yes!!! for me!!!」と叫んで踊り狂おう[4]という提案や、「めっちゃフォーミー」という言い方[5]が紹介されていました。
「合わなかった」だけでは、誰にも届かない
not for meという言葉には、懸念や反論もあります。
2015年のまとめの中には、「呟くにはホント良い言い方なんだけど、ある意味何も言ってないというか、自分の趣味がコンテキストとして別の言い方でちゃんと伝わってないと情報量がえらい低くなるというか」という指摘がありました。[6]
これはその通りだと思います。
「合わなかった」の一言だけでは、読んだ人は、自分ならどうなのかを判断できません。
また、「ゲームは批判すべきである」[7]という立場の人もいます。
根拠のない「批難」と根拠のある「批判」を分けたうえで、批判がないと、大作のように見えるけれど人を選ぶ作品を新規プレイヤーが掴んでしまい、そのままゲームから離れていってしまう、という主張です。
この2つの意見は、方向は違いますが、言っていることは同じだと感じます。
合わなかった人がいるという事実は、「では誰になら合うのか」という情報とセットになって、初めて意味を持つThat's the point.
作品に罪はないけれど、届いた相手が違っていたというのはよくあることです。
それなら、次は合う相手に届くようにすればいい、ということになります。
not for meの精神は、作品を叩かないという消極的なものではなく、そこまで含めてのものだと僕は思っています。
ミスマッチは、届け方の問題
ここからが、今回一番書きたかったことです。
合わなかった作品に出会うのは、プレイヤーのせいだけでも、作品のせいだけでもなく、「届け方」の問題である場合が多いと感じています。
たとえば、絵柄や紹介文がライトな雰囲気なのに、実際に遊んでみるとコアなゲーマー向けの相当な高難易度だった、という作品があるとします。
気軽に遊べる作品を求めてダウンロードした人は、「思っていたのと違う」と感じてしまいます。
一方で、歯応えのある作品を求めていた人には刺さる可能性があります。
作品の出来は同じなのに、届いた相手によって、評価が正反対になるわけです。
Steamの低評価レビューを分類した記事[8]でも、ジャンルが期待と違った、ストアページの内容と実際が違った、という「思ったのと違う」が理由の上位(4位)に入っていました。
低評価の中には、作品の出来ではなく、期待とのズレが原因になっているものが一定数ある、ということだと思います。
その記事でも、開発者への提案の一つとして、ストアページで内容を正確に説明することが挙げられていました。
作り手にとって、届ける力が大事になってきている
そういうわけで、「どんな作品で、どんな遊び方を想定しているのか」をしっかり説明して、合う人に届くように宣伝することが、作り手側にとって大事になってきていると思います。
昔に比べて作品の数は格段に増えました。
ただ公開しただけでは、合う人のところまでなかなか届かなくなっているように思います。
そして、届いたとしても、紹介文やスクリーンショットから受ける印象と中身がズレていれば、合わない人ばかりが集まってきてしまいます。
作品を作る力と、作品を届ける力は、別の能力だと思います。
説明や宣伝が苦手な作り手の方も多いと思いますが、そこは無理をせずに、得意な人に頼む・外注する、というのも一つの手です。
作ること自体に時間を使いたい人ほど、届ける部分は誰かの力を借りた方が、結果的に作品のためになる気がします。
趣味のフリーゲームと、収益を目指すインディーゲーム
もちろん、趣味で公開しているフリーゲームと、収益を目標にしているインディーゲームでは、スタンスはやや違うと思います。
趣味のフリーゲームは、「作りたいものを作った」で良いと思いますし、宣伝にお金をかけるのも変な話です。
収益を目指すインディーゲームなら、届け方はそのまま売上に直結するので、作ることと同じくらい力を入れるべき部分になります。
ただ、どちらの場合でも、届いて欲しい人に届かせる活動は大事だI think so.
趣味のフリーゲームであっても、難易度の目安やクリア時間、どんな人を想定して作ったかを紹介文に一言添えておくだけで、ミスマッチはかなり減らせるのではないでしょうか。
それは宣伝というより、作品を守るための説明だと思います。
アンチコメントが増えてきたとき
作り手側の視点で、もう一つ書いておきたいことがあります。
作り手向けのガイドライン[9]として、批判的な感想を①「作品の方向性が合わなかった→受け流す」、②「攻撃が目的→スルーする」、③「作品のクオリティが悪かった→自分のメンタルに合わせて受け止める範囲を決める」の3つに分けて考える、という記事があります。
この記事の中でも、not for meという言葉が「自分はこの作品を楽しめなかったけど、それは自分の嗜好に合わなかっただけだよ、という考え方」として紹介されていました。
話を聞く価値があるのは3つ目だけ、という整理は、僕もその通りだと思います。
アンチコメントや低評価が増えてくると、確かにしんどいと思います。
ただその原因は、届け方のミスマッチが多いか、あるいは、本来の守備範囲の外にいる人にまで届くくらい作品が有名になったか、そのどちらかである場合が多いと思います。
前者であれば、説明や宣伝の仕方を見直す余地があるということです。
後者であれば、それは作品が広く届いている証拠でもあります。
アンチコメントの増加には、そういうポジティブな面もあるのではないでしょうか。
とはいえ、アンチコメントはごく少数であってもメンタルをゴリゴリ削られる場合もあるので、なかなかポジティブには捉えられないかもしれませんが…
レビューを書く側にできること
僕のようなレビュアーができるのは、この「届け方」を手伝うことだと思っています。
作品を叩くことでも、逆に無理に褒めることでもなく、「この作品はこういう作品です」と、事実に近いところをできるだけ丁寧に伝え、自分が面白いと感じた部分を書く。
プレイした版やクリア時間、難易度の体感、気になった点(猟奇的な描写がある、説明が少なめ、など)といった情報があれば、読んだ人は自分に合いそうかどうかを、ある程度判断しやすくなるはずです。
ただ、「こういう人に向いている」「こういう人には向かない」と、こちらで強く線を引いてしまう書き方は、なるべく避けたいと思っています。
向き不向きの判断は結局のところ主観なので、それを読んで、本当は合ったかもしれない人がプレイを諦めてしまうかもしれないからです。
事実を並べて、判断は読んだ人に委ねる、というくらいがちょうど良いのではないか、という気がしています。
そして、以前から変わらない部分ですが、プレイしようと思っていた人のやる気を失わせるような記事は書きたくないというのは今も同じです。
ですので、不満の方が多い作品の記事はそもそも書かないというスタンスは、これからも変わらないと思います。
In conclusion
「not for me」は、単に角の立たない言い方というだけではなく、作品と、それが合う人とを結び付けるための考え方だと思っています。
自分に合わなかった作品は、誰かにとっての「めっちゃフォーミー」かもしれません。
その誰かに届くように、作り手は説明と宣伝を、レビュアーは丁寧な情報の開示を、それぞれ心掛けられれば、ミスマッチは今より減るのではないかと思います。
僕自身、これからも記事を書く際は、そういった一助になれることを意識していきたいと思います。
出典・参考
本文中の註番号に対応する出典です。「↩」を押すと、本文の該当箇所に戻ります。
- Togetterまとめ「面白くない作品は面白くないと言わず「not for me」と言うべき」(2015年7月公開。めがねねこP氏のツイートを発端としたまとめ。タイトルは編集部による要約で、ツイート本文は「日本のオタク界隈でもこの言い方、流行ってくれないかしらね」という穏やかなもの) ↩
- ニコニコ大百科「not for me」(単語記事) ↩
- Togetterまとめ「「よく出来てるけど好きじゃない」とか「ひどい出来だけど好き」とかの評価があり得ることを理解できない人は多い?→それぞれの評価が別軸だと理解するところからでは?」(2026年9月公開。まぐれもの氏のツイートを発端としたまとめ。特定の作品ではなく、映画やゲームなど創作全般の評価の話) ↩
- Togetterまとめ「「Not for me」という言葉があるけど、自分に合わないことを憂うより好きな作品に「Yes!!!for me!!!!!!」って叫んで踊り狂おうぜ」(2019年12月公開。やすたみ氏のツイートを発端としたまとめ) ↩
- Togetterまとめ「”not for me”の対義語だとこういうのも好き「前向きでとってもいい」「使いたくなる日本語」」(2024年9月公開。鎌倉氏のツイートを発端としたまとめ。「めっちゃフォーミー」は、びーている氏がnote「ぼどれぽ。」の2019年のボードゲーム紹介記事で見かけた言葉として紹介したもの) ↩
- 註1のTogetterまとめに収録された、すみ氏(@turqu_boardgame)のツイート(2015年7月22日) ↩
- ブログ「ひきともり」の記事「クソゲーをクソゲーと言っちゃだめなの? ゲームは批判すべきである」(とも氏、2021年7月。ゲーム実況者の動画「ゲーム好きならやってはいけないこと3選」への反論として書かれたもの) ↩
- 離水ひつじ氏のnote記事「Steam不評レビューには何が書かれているのか?~日本発インディーゲームの場合~」(2024年2月。2022〜2024年にSteamで発売された、販売本数が数千〜数万本規模の日本発インディーゲーム約30本の、日本語の不評レビュー218件を分類したもの) ↩
- だらねこ氏(インディーゲーム開発者)のnote記事「自分の作品に対する感想に殺されないためのガイドライン」(2022年4月) ↩
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