ReIn∽Alter リーン・アルター(フリー・ノベルゲーム)紹介・感想

ゲーム
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前書き

同じ作者様の「Choir::Nobody」や「剣閃神姫誅伐伝」をプレイした後、本作「ReIn∽Alter」をプレイしました。
以前「もぐらゲームス」様で記事にもなっていたので、その時から気になってはいました。
しかし当時は、全エピソードが公開されてはいなかったため、プレイは控えていました。

現在は、すべてのエピソードがまとまった完結版として公開されています。
クリア時間は、公称の通り約5時間ほどだったと思います。

ダウンロードはこちら(「ふりーむ!」作品ページ)

ReIn∽Alter

 

ゲーム概要


本作「ReIn∽Alter」は、文字を読み進めていくノベルゲームです。
本編においては選択肢は存在せず、一本道のストーリーを追っていくことになります。

あらすじについては、ダウンロードサイトに十分な説明が記載されています。
以下は、「ふりーむ」の作品ページからの引用です。

 ■ストーリー
『人は生まれた瞬間に、孤独になる。そうして、死ぬ時にもう一度、全てを喪って独りになるの』現代。
見知らぬ少女が自殺する悪夢に悩まされている学生「高嶺零」は、姉と共に平和な日常を過ごしつつも、どこか鬱屈した思いを抱えていた。ネットニュースで現実をとりまく絶望を知るのが趣味である彼にとって、そういった日常は仮初めでしかなく、窮屈で嘘に塗り固められた日々から脱出したいと考えている。そんな彼が興味を持っていたのは、近年、散発的に起きている、未解決の猟奇殺人事件。そして、その犯人とされる「化物」であるネットミーム、「魔族」。

ある日、同級生の少女「佐咲煌華」が配信している「魔族」に関する動画を観たことで、「仮想の存在である『魔族』の実在性を確かめたい」という決心を抱き、行動に移す。

それはセカイの終焉の始まりにして、人類の起源を辿る物語の序章であった――。

「魔族」「異能力<リーン>」「過去の大災害」「アルター」――そして、「魔王」。
多くの謎が絡み合いながら壮大なスケールで描かれる、終末と救済、孤独と愛の物語。

「ReIn∽Alter」(「ふりーむ」作品ページより引用)

以上のような内容です。
紹介文としては、完璧な内容だと思うので、これ以上付け加えることはありません。

内容紹介(ネタバレ無し)

前項で描いたように、あらすじとしては、ダウンロードの紹介文に付け加える部分はありません。
しかしそれでは、紹介記事の意味があまり無いので、ネタバレを避けて、少しだけ内容に踏み込んだ紹介をしてみようと思います。
クリアした上での、僕の主観を含みますので、ご了承ください。

本作「ReIn∽Alter」は、決して明るい話ではありません。
「孤独を抱えて生きる少年少女たちの現代異能SFセカイ系長編ノベルゲーム」と銘打ってある通り、主要人物は皆、様々な意味での孤独を抱えています。

しかし、異能バトルで敵とバチバチ戦闘するのがメインではなく、それぞれの人物の孤独や、世界に対しての在り方を描くのに文章を割いています。
文章は読みやすくライトですが、テーマはヘビーだと感じるので、爽快感を求めるプレイヤーには、お勧めできないかもしれません。

とはいえ、序盤には想像もできないくらいのスケールの話に発展していくので、壮大なSF作品として惹きつけられる部分も大きいと思います。

「異能(ReIn)」の仕組みについても、科学的な根拠が設定されており、誠実さが感じられます。
昔読んだ角川ホラー文庫「二重螺旋の悪魔」という作品でも、似た設定があったため、頭の中にスッと入ってきました。

また本作は、一つ一つの文章に込められる意味・内容が濃く、じっくり読まなければなりません。
会話文が多い作品であれば、ポンポンとテンポよく読んでいけるのですが、本作は内容に加え、地の文が多めです。

文章量の割に読む時間が掛かると感じるので、腰を据えて、少しずつでもじっくりプレイして欲しい作品だと思います。

感想(ネタバレ有り)

(本項目には、「Acassia∞Reload」のネタバレも含まれているため、プレイ予定がある人はご注意ください )

『人は生まれた瞬間に、孤独になる。そうして、死ぬ時にもう一度、全てを喪って独りになるの』
この言葉は、本作で何度も繰り返し登場する言葉です。
本作「ReIn∽Alter」のテーマは何かと言われれば、やはりこの言葉を置いて他はないと思いました。

生まれてきた意味だとか、生きていく意味は何かという問いは、おそらく誰もが一度は考えたことがある問いだと思います。

しかし多くの人は、何らかの形で折り合いをつけたり、自分なりの答えを見つけたり、あるいは考えないようにしたりして、生きているのだと思います。

僕の場合は、そういう問いに対して答えを求めていた過去の自分と、主人公の零を重ねてしまう部分も少しありました。
今は自分なりに、それらの問いに対しての答は出してしまったため、特に考えるということはしていません。

ところが本作をプレイしたことにより、もう一度その問いを突き付けられたようで、苦い感覚を覚えました。
ただ、やはり自分の中の答は変わらなかったため、零と大きく共感することはありませんでした。
零に共感する部分が少ないということは、逆に言えば、現在自分は世界との繋がりを(思い込みであったとしても)感じられているということなので、それは幸せなのかもしれません。

零が不幸だったのは、本人が世界の外側からやってきたという、本質的な意味で異端者だったということでしょう。
おそらく、何もしていなくとも、自分はこの星では異端者だという感覚があったはずなので、孤独感は覚えていたはずです。
個としては完成されているはずの零種ならば、虫を踏みつぶしてしまったくらいでは、動揺しないはずです。
プリムと違いゼロは、零種の中でも異端な、感傷的な部分が大きい存在だったのでしょう。

そのような中、金髪の少女と出会い、同じ異端者同士、交流を深めていくことになります。
この出会いによって、ゼロは「この世界に存在してもいいんだ」という繋がりが感じられるようになっていったのだと思います。
その後、金髪の少女が亡くなってしまうことにより、親しい人が死んでしまったことに加え、世界との繋がりも断絶してしまったことになり、より一層孤独感を覚えてしまったのではないでしょうか。

ゼロはその後、零として生を得たあとも、ずっとその孤独感に苛まれていたはずです。
つまり、零が物語の当初から孤独を感じている理由は、卑近な言い方をすれば、大切な人を亡くしてしまったからと言えるでしょう。

本編のプリム戦後、唯理が零を看取るシーンは、ちょうどゼロだった頃と対比になっているように見えます。
死ぬときに唯理がいてくれたおかげで、「死ぬ時にもう一度、全てを喪って独りになる」という言葉を、一瞬は回避できたのではないかと思います。

本作で、印象に強く残っているものとして、「アカシア・リロード」という存在があります。
作品内では、個体の情報を記憶して保存し、再度新たに書き込むなどして復活させる、超越した記録装置のような働きを見せる存在です。
「Ep.-[Transcendence]」で示唆されているように、アカシア・リロードはプレイヤー自身のことを暗示しています。
アカシア・リロードたるプレイヤーが、アカシアのことを覚えていることにより、アカシアは一個体として存続し続けられるという構造になっています。

このエピソードを読んだ上で想像すると、本編ラスト(年老いた唯理と魔王の会話後)で、零と唯理が再会できたのは、アカシア・リロード内のことなのではと想像します。
プレイヤーが、本作を最後まで読み進めてプレイしたことにより、二人がプレイヤーの記憶の中に存在することができ、再会できたと考えるのはロマンチシズムに過ぎるでしょうか。
しかしそのように考えると、本作を読んだことで登場人物が救われたと感じられるので、読んだ甲斐があったと感じます。

タイトルに含まれる「∽」の記号は、遺伝子の二重螺旋構造を表しているのだと思います。
人が、遺伝子の乗り物となることで、種としての永遠性を手に入れたように、零種もまた、アカシア・リロード(プレイヤー)を乗り物として、永遠性を手に入れたのでしょう。
あるいは、この二重螺旋は、交わりそうで交わらない人と零種の関係性を表しているのかもしれません。
交わらないけれども、永遠に寄り添い合う構造と考えれば、緊密な関係性であるとも読み取れます。

ここまで、色々と勝手な感想を書き散らかしてきましたが、プレイヤーに色々なことを想像させる作品は、フリーゲームならではだと思います。
多く売れることを目的とするコンシューマー作品では、ある程度分かりやすいエンタメ性が求められます。
そのため、良くも悪くも、あまりに尖った内容にはし辛いでしょうし、なるべく多くのプレイヤーが楽しめる内容が求められるでしょう。

しかしフリーゲームは、無償で公開されています。
プレイするもしないも自由で、面白くなければ、途中でプレイをやめてしまっても、金銭的なコストが発生するわけではありません。
だからこそ、作り手は、自分の趣味嗜好を前面に押し出した作品作りが可能でしょうし、それが同人作品の魅力だと思っています。
そういう意味で、フリーゲームのノベル作品は、(大衆文学の対義語としての)「純文学」的な作品が生まれやすいと思いますし、刺さる人には強く刺さる作品が多いのも特徴だと感じます。

 

本作「ReIn∽Alter」は、可愛らしいキャラクターのビジュアルや紹介文を見ると、異能バトル物のライト・ノベルのような内容が想像されます。
確かに、「Choir::Nobody」や「剣閃神姫誅伐伝」は、ノベルゲームではなく、ゲームとしての比重も大きかったため、分かりやすく楽しめる作品だったと感じます。

しかし本作は、それらと同じように楽しもうとするには、重く深い話だったと思います。
安易に大衆性・娯楽性に走っていないように感じる分、作り手が表現したかったことの純度は高かったのではないでしょうか。

現実に存在するアカシア・リロードと言えるインターネット上に、このように感想を残すことで、本作の永遠性を担う一助となれば幸いです。

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