詩歌を嗜むRe(フリー・見るゲ)紹介・感想

ゲーム
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前書き

「RPGツクールVX Ace」製の作品「詩歌を嗜むRe」をプレイしました。
今までVIPRPGはそれほどプレイしたことはなく、「見るゲー」のプレイも初めてでした。
どのようなプレイ感なのだろうと思いながら遊びましたが、通常のノベルゲームに比べて、ツクールの文脈に則った画面で演出がされるため、何となく親しみが感じられ、違和感なく読み進めることができました。

とても心に残る作品でしたので、記事を書いてみようと思いました。
クリア時間は約4時間でした。
なお、本作品は性的・グロテスクな描写が含まれます。
これが作品の本質ではありませんが、そういった描写が一切耐えられないという人には、お勧めはできません。

ダウンロードはこちら(外部リンク)

詩歌を嗜むre (VIPRPG@Wiki)

ゲーム概要(ネタバレ無し)


「詩歌を嗜むRe」は、RPGツクール製ではありますが、いわゆる「見るゲー」と呼ばれるもので、ゲーム性はありません。
ほぼノベルゲームと同じようなジャンルと言っても良いと思います。

しかし、会話ウィンドウに表示される数行の文章が基本となるため、地の文はほとんどなく、ガッツリ読むゲームというものではありません。
セーブは自由にできませんが、大体10分前後、長いと30分くらいの区切りでセーブ画面が挿入されます。

他にも、ツクールの機能を生かした多彩な演出が特徴です。
通常のノベル作品であれば、文章での長い描写が必要なシーンであっても、視覚的に表現することにより、瞬時に語ることができるというのは、見るゲーの有利な点だと思います。
文章をずっと読むだけでは退屈に感じてしまうこともありますが、こういった演出で飽きさせないように工夫されています。

さて、本作のあらすじについてです。
本作は、「大破壊」後の世界で生きる人々と、人を模した存在「デバイス体」の物語です。
物語は、人側の視点である「パンイチ」(名前変更可)と、デバイス体の視点である「ライスパーク」の2方向で進んでいきます。

パンイチ側は、自分が住みついた巨大な城塞兵器のP・マトリクス(擬似人格のようなもの)・シロ子との交流を中心に描かれます。
ライスパーク側は、人間抹殺の行動原理に従って動くデバイス体の中で、人間的な疑問や情緒が芽生え始めてきたライスパークを中心に描かれます。

ジャンルは一言では言い表せませんが、キーワードをいくつか挙げるとしたら、「SF・ポストアポカリプス・機械の心・バトル・家族・出会いと別れ」といったところでしょうか。
再序盤をはじめとして、どストレートな下ネタもありますが、それらも意味や理由があってのものです。
伏線回収やバトル描写など、力の入ったシーンが中盤以降、次々と出てきます。
読み進めれば読み進めるほど、面白さが加速していくと思います。

ゲームをダウンロードすると、一番下のデータファイルにセーブデータが保存されています。
このデータをロードすると、作中の人物の細かな設定資料が読むことができます。
ネタバレ情報を多分に含むため、クリア後に読むことを強くオススメします。

感想(ネタバレあり)


僕は、詩というものをあまり嗜んできませんでした。
小さいころに、国語の授業で詩を読んだり、作ったりすることはありました。
そのため、詩に対する耐性がなかったのかもしれません。
エンディングで不意打ちのように谷川俊太郎の「生きる」が流れてきた際は、ほろりと涙が出てしまいました。
(ちなみにこの「生きる」がそのまま歌詞になっている合唱曲が存在します)

作中で誰かが死ぬという、直接的に悲しいシーンでは、悲しい気持ちにはなりましたが、涙は出ませんでした。
しかし、そういった具体的な事象ではなく、もっと大きなものについて抽象的にうったえかけてくるシーンでは、涙が出てきてしまいました。
この作品で描かれていた「生きる」ことへの賛歌に、心を打たれたのだと思います。

本作のキーワード

本作「詩歌を嗜むRe」をプレイした、全体的な感想について書いていきます。
本作を読み解くにあたって、いくつかのキーワードをもとにして、語っていこうと思います。

一つ目は、「家族」というキーワードについてです。
パンイチは、歪な形ではありますが、家族を持っている状態から始まりました。
しかし、妹ザン子の手によってそれは失われ、独りになってしまいました。
血が繋がっていたとしても、それだけが家族の必要十分条件というわけではないことの象徴だと思います。

そして、その後シロ子と出会い、家族の最小単位とも言える夫婦(とは言い過ぎかもしれませんが)のような関係になっていきます。
パンイチもシロ子も普通の人間ではありません。
しかし、家族の絆というものは、そういったものを越えたところにあるものなのではないかと思えました。

一方ライスパークも、自分たちは認識していないものの、アグナファイア&ブリザルトと、家族を模して造られた存在と一緒いる状態から始まりました。
しかし、ウィズダークとの出会いをきっかけにアグナファイアたちと敵対し、さらにウィズダークとも別れることになります。
設定資料にもありますが、アグナファイアたちにもそれぞれ、父・母(+父)・長子という役割を(不完全ながらも)想定して作られています。
しかし、本編でもわかるように、それはうまく機能していません。
「家族」や、その中での役割というものは、外部から与えられるものではないのだと感じられました。

二つ目のキーワードは「出会いと別れ」です。
本作では、数多くの出会いと別れが描かれています。
出会うということは、いずれ必ず別れるということでもあり、世の無常さを強く意識させられます。
本作での出会いと別れは、そのほとんどが生と死を意味しています。
一方が生き、もう一方が死ぬ。
生きるということは、この出会いと別れの繰り返しであるということが、描かれているように思います。

本作でも何度か登場する、谷川俊太郎の「生きる」という詩にしても、生と死を強く意識させられます。
この詩では、「生きていること」「いま生きていること」がどういうことなのか、滔々と詠まれています。
詳しく内容を語ろうとすると、長くなってしまうため割愛しますが、この詩は繰り返し「いま」という部分を強調しています。
「いま」生きているということは、「いま」が過ぎれば、いずれ生きていない状態=死ぬ、という状態になるということです。
「生きる」ことについて多く語られると、その反対である「死ぬ」ということは、詩で示された内容が、ことごとく実現されない状態ということを強く意識させられ、生への素晴らしさと同時に、死への畏れを感じてしまいます。

詩歌を嗜むということ

本作は、「詩歌を嗜む」というタイトルが付けられています。
僕は、ノベル系の作品のタイトルから、あれこれ勝手にこじつけて考えてしまう癖があるので、今回も考えてみようと思います。

端的に言えば、「詩歌を嗜む」のが人である、ということなのだと思います。
谷川俊太郎の「生きる」風に言うなら、「人は詩歌を嗜むということ」です。

デバイス体であっても、人と同じと言っても良い存在になったキャラクターは、いずれも詩歌を嗜んでいるように思えます。
シロ子は歌を歌っていますし、ライスパーク(ウィズ・ライト)も、世界中を回りながら詩を詠むようになっています。
パンイチやザン子は言うに及びません。

ただこれは、単純に詩歌を嗜むようになれば、人と同じになれるということを意味しているわけではありません。
出会いや別れを繰り返し、喜び、悲しみ、美しいものを美しいと、人と同様に感じられる存在となって生きていることを、「詩歌を嗜む」と表現しているのではないでしょうか。
人と同様の情緒を獲得した存在であれば、自然と詩歌を嗜むようになる、そういうことを意味しているのだと思います。

パンイチとシロ子の前に登場したシストラは、最終的に行き違いから死んでしまいました。
シストラがあっさり死んでしまったのは、個人的に意外な展開に感じました。
新たな登場人物として、パンイチとシロ子のやり取りにこれから変化を与えてくれる存在だと思っていたからです。
もっと言うなら、パンイチとシロ子を夫婦という家族の最小単位と見なしたとき、シストラはその子供役を担うと感じていたからです。

しかし、シストラは話すことができないデバイス体であり、言葉によるやり取りができませんでした。
人と動物の大きな違いは、言葉を話せないということです。
言葉を話せないということは、コミュニケーションをとることができず、お互いを理解していくことができません。
パンイチとシロ子のように、お互いの関係を深めていくことは、最初から難しかったのかもしれません。

シストラには、「自分と同じモノたちと出会うの」という命令が出されています。
言葉を話せるパンイチとシロ子は「自分と同じモノたち」ではないと言えるため、自分と同じ存在に出会えなかったのが、彼女の不幸だったのではないでしょうか。

各キャラクターについての雑感

登場人物が多くない本作ですが、その分、各キャラクターは深く掘り下げられていたように感じました。
肩肘を張らず、主要なキャラクターについての雑感を書いていきます。

・パンイチ
導入での、怒涛の下ネタが印象に残る人物です。
しかし、こういうおちゃらけたキャラクターは、何かしらハードな過去を抱えているものだと思っていたら、やはり想像以上で暗澹たる気持ちになりました。
冒頭での妹とのやり取りが、看取っているシーンだと思うと、二周目はまた違った思いで読むことができます。
アグナファイアをして「お前がそれを言うか!?」と言わしめるしぶとさを持つ人物で、何とかしてくれそうな主人公として、素質は十分のキャラクターでした。

・シロ子
ヒロインの健気な兵器でした。
ライスパークと同時期のP・マトリクスだったためか、もともと人間らしい情緒や感性を育む要素は備えていたようです。
パンイチとの別れを、悲しみだけで捉えるのではなく、この別れこそが生きることなのだと理解し、歌っていくことでしょう。

・ライスパーク
「Lie Spark」の名の通り、嘘がつけるデバイス体として、主人公の役目を担っていたと思います。
嘘をつく際、発言が『』で囲まれるのは、文章を目で追う作品ならではの表現です。
物語開始時から、アグナファイアやブリザルトとは違う完成を持つものの、集落掃討の際に『一人は気楽』と発言していることから、独りであることの寂しさのようなものは感じていたことが窺えます。
アグナファイアとのバトルは見ごたえがあり、絶対的な性能差を覆すための数々の策は面白かったです。
資料部屋での説明を読んでいると、ある意味一番とんでもない性能を秘めており、発想次第でどんな戦い方もできそうなのは主人公らしいと感じました。
ウィズ・ブラインドとのやり取りが、特に楽しかったです。
自分の感情に理解が追いつかないまま、アグナファイアから逃げる場面は、まさに人間と変わらなかったように感じました。

・ウィズ・ブラインド
口が達者で、やや馬鹿正直なライスパークをからかうやり取りは、ずっと見ていたくなる微笑ましさでした。
長い間、人間と交流しながら面倒見てもらっており、最終的にはライスパークに看取られながら活動を停止しました。
自分の名前をライスパークに伝えることも出来ましたし、登場キャラの中では恵まれていたのではないでしょうか。

・アグナファイア
AgNaというスペルの伏線は、能力バトルらしい展開で楽しかったです。
資料部屋での説明を読めば読むほど、馬鹿げた性能で驚かされます。
話が分からない機械的なデバイス体と言うよりは、序盤から情緒を持っているように感じられました。
自信からの油断や、予想外の反撃への驚きなど、ある意味人間臭く見えました。
詩歌を嗜むような方向性ではないにせよ、かなり人間的な情緒は獲得していたのではないでしょうか。

無限の熱量で満たされていた彼女が、最後は凍りながら停止するのは、皮肉なものだと感じます。
人の絆が描かれている本作において、孤独に海底で封印されるというのは、最大の罰であるように感じられました。

・ブリザルト(ド)
アグナファイアにお姫様抱っこされて喜ぶ場面や、痛みを怖がってライスパークの脅しに屈する場面など、どこか憎めないところがあり、可愛らしく感じました。
電脳戦の面だけでもアグナファイアに一目置かれており、主従的な関係でありながらも、信頼関係が少し見えました。

シロ子との電脳戦でブリザルドに切り替わった時は、その桁違いの強さが際立ち、恐ろしい存在でした。
倒したと思ったら、最後の最後でシロ子の主砲発射の邪魔をするなど、嫌らしさでも印象に残っています。

・ザン子
家族というものが、常に健全で素晴らしいものとは限らないと伝えてくるキャラクターでした。
パンイチにとっては大切な家族でありながらも、その家族を終わらせる原因にもなってしまった、一言で言い表せない人物でした。

家族の中の、誰かひとりが悪いわけではなく、全員が少しずつすれ違っているような、何ともやるせない状況を体現していたのではないでしょうか。
もう少しお互いが言葉を交わして理解していれば、決定的なことにはならなかったのでは、といつまでも思ってしまいます。

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